小学生〜中学生の野球の記憶

どうも、ずまるです! 今日から少し今までの人生の振り返りをしていこうかと、、

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坊主かわいいですよね^^はい、こんな時代もありました。

小学校1年生から野球を始め、最初は硬式野球をやっていたが、小3で軟式野球に変更、中1から中3までは土日にクラブチームでプレー、高校からは野球をやらずバスケ部に入ってしまいました。(高校の話は後々)

小学生時代

この時期が私の人生のピーク!!、、、おそらく、、、とにかく意識が高く、練習熱心でそして誰よりも負けず嫌いであったことは自信があります。(今になってはどこへやら〜)その分、自己中で扱いにくい人間だったかも、、、体は大きくありませんでしたが、目一杯走ってボールに食らいついて汗を流した記憶。目標は全国大会出場。チーム一丸となって練習に励んだ結果、6年生の時、念願の全国大会に出場することができました。神宮球場でプレーできたことはおそらく一生忘れないと思います。野球を私に教え、練習後にもバッティングセンターに連れて行ってくれた父親、毎回お弁当を作って、練習着もピカピカに洗濯してくれた母親にはとても感謝しています。(当時はぜっっったい当たり前だと思ってた。クソ野郎でした、、泣)

全国大会は二回戦で敗退してしまいましたが、とてもいい経験になりました。しかし、、

その直後にアクシデント発生。投球時に、腕が飛んでいくような感覚があり、激痛が走りました。腕も曲げられないくらい、、、終わった、、当時は絶望に打ちひしがれこれ以上野球は続けられないかもしれないという考えしかありませんでした。

診断名は離断性骨軟骨炎。初診でみてもらった医師には膝からの骨の移植術を推奨されましたが、当分投げれないということを言われ、それが嫌だったのでセカンドオピニオンを求むべく有名な先生に診てもらうことになりました。

これが私が医師を目指すきっかけになるとは当時は考えもしませんでした。(これも後々)

結局、保存療法で大丈夫ということになり、野球は続けられることになりました。

 

中学生時代

暗黒期突入!!!!!笑

保存療法といっても痛みがなくなったわけではなく、痛みを気にしながらプレーしていたら、だんだんと野球をやるのがしんどくなってきたのです。練習ハードだし、怒られてビンタとか普通にされるし(今じゃ大問題!!!!怖すぎた、、)、飯も大きいタッパーで食べさせられたし、本当にいい記憶がない笑 土日の天気予報とにらめっこした日々は忘れられません笑(雨であれー雨であれーって笑)

大事な試合でミスしてイップスも経験しました、、(普通のキャッチボールもままならないくらいに。) 自分が情けなく思えてきて、何もかもネガティブ思考になっていました。。

だからずっと野球を続けてプロとかにもなった人は本当にすごいといつも心から思います。

そんなこんなであまりやる気が起きず、高校では辞めてしまいました。

 

中学生時代の記憶を抹消したい笑笑

中学生時代は色々と悩みや葛藤が多い時期でしたのでこれもまた後々、、、

 

でもそんな経験も無駄ではないと信じたい!!!!(懇願)

基礎体力はついたし!!ウンウン!! 暗示をかける日々でござんす。

野球で学んだたくさんのこと。挨拶、礼儀、上下関係、道具の手入れetc

どれも今後生きていく上で必ず必要なもの。当たり前のように思えて意外とそうでなかったものを野球から教えてもらったといっても過言ではないと私は思っています。

人生全てに意味があるとはこのことかな〜とまだまだ未熟な脳みそは考えていますが、、

これからもこの経験を生かして人生を全うできればなと思いましたとさ。

長くなったああ 

今後は私の幼き学生時代や地獄の浪人生活、奇跡的に医学部医学科に合格した話、ゴルフやその他スポーツについて書いていこうかなーと思います。

よし、今日も足跡残したぞーい

ではまた いってらっしゃい!